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【毒親】遠野なぎこの母親の現在は?子供時代に受けた虐待が壮絶すぎる!

遠野なぎこと愛猫

2025年7月3日、女優・遠野なぎこさんの東京都内の自宅マンションで、身元不明の女性の遺体が発見されました。

警視庁は遠野さん本人の可能性が高いとみてDNA鑑定を進めていますが、遺体の腐敗が進んでおり、身元の特定には時間を要する見込みです。

遠野さんは6月27日に「うつ病」と診断されたことや訪問看護の開始をブログで報告したのを最後に、SNS更新が止まり、関係者との連絡も取れなくなっていました。

そんな遠野さんの人生を語る上で欠かせないのが、母親との関係です。

幼い頃から母親による虐待や育児放棄を受け続け、心身に大きな傷を負いながらも、女優として活動を続けてきました。

この記事では、現在身元確認が進められている遠野なぎこさんが、これまで母親から受けてきた虐待や育児放棄の内容、そして母親が現在どうなっているのかを、時系列で詳しく紹介します。

目次

【毒親】遠野なぎこの母親の現在は?

遠野なぎこさんの母親については、

2022年に亡くなっていることが遠野なぎこさんの告白で明らかになっています。

2022年5月、母親は当時の夫ががんで亡くなった翌日に、自ら命を絶ちました。

葬儀には遠野さんは参列せず、母親の死についても複雑な感情を抱えていたといいます。

2023年、文春オンラインのインタビューで遠野さんはこの事実を公表しました。

母親の死に対して「解放された」と感じた一方で、最期まで愛されなかったという絶望も同時に味わったと語っています。

2024年には、一部週刊誌が「遠野なぎこの母親が焼身自殺未遂を起こし、入院中に『私は遠野なぎこの母親です』と名乗った」と報道しました。

しかし、遠野さんの事務所はすぐにこれを否定。

「母親はすでに亡くなっており、報道は誤り」と説明しています。

このように、遠野さんの母親は2022年に亡くなっており、現在生存しているという報道は事実ではありません

母親が亡くなった後も、遠野さんに残された心の傷は癒えず、精神的な不調や摂食障害などの症状が続いていました。

【1979〜幼少期】遠野なぎこの母親による虐待と育児放棄

遠野なぎこさんは1979年11月22日、神奈川県川崎市に誕生しました。

母親は当時18歳の高校生で、女優の夢を妊娠によって断念し、その挫折が遠野さんへの態度に影響したといいます。

父親との駆け落ち同然の結婚生活は経済的にも苦しく、父親の酒癖や暴力も重なり、家庭は荒れていました。

母親は次第に「人生を狂わせた存在」として遠野なぎこさんを冷遇し、弟や妹には優しいのに遠野さんにだけ暴力や暴言を浴びせました。

「お前は醜い」「顔が大きい」など容姿を否定する言葉や、殴られ鼻血を出しても「床を汚すな」と叱る冷たい態度が続きました。

さらに母親は、自分の夢を弟や妹に託し劇団に入団させ、遠野さんは付き添い役として同行。

しかし6歳の時、劇団スタッフに才能を見出されて子役デビューします。

子供時代の遠野なぎこ

母親はそこで態度を変え、バレエやピアノなどを習わせますが、褒めることはなく虐待や育児放棄は続きました。

母親の不倫や家出で1週間も家に放置されたこともあり、遠野さんは「認められたい」と必死に努力しながらも、幼い心は深く傷ついていきました。

【1989〜思春期】両親の離婚と虐待の激化

引用元:

遠野なぎこさんが小学5年生だった1989年頃、両親は離婚しました。

母親に引き取られ、弟や妹たちと共に暮らし始めますが、この頃から母親の虐待や育児放棄はさらに激しさを増していきます

離婚後まもなく、母親は児童劇団のスタッフと再婚し、4人目の子供をもうけます。

しかし新しい夫が家にいることで、遠野さんはさらに疎外され、母親の八つ当たりや暴力の対象となりました。

母親は義父との不適切な入浴を強要するなど、精神的にも追い詰めるような行動を取っていたといいます。

母親の暴言や暴力もエスカレートしました。

髪の毛をつかんで壁に叩きつけたり、床を引きずり回したり、鼻血が止まらない遠野さんに対して「ティッシュを無駄にするな」と叱りつけるなど、理不尽で冷酷な虐待が続きました。

また、

母親が不倫相手の局部の写真を幼い遠野さんに見せるなど、精神的にも大きな傷を残しました。

一方で、子役としての仕事は順調に増え、1991年には『鳥人戦隊ジェットマン』、1994年には『嫁の出る幕』、1995年にはNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』など、数々の作品に出演していました。

家庭内での虐待が続くなか、演技の仕事に没頭することでなんとか自分を保っていたといいます。

そして思春期に差し掛かった1994年、遠野さんが14~15歳の頃、母親の言葉がきっかけで摂食障害を発症しました。

体重増加を気にしていた遠野さんに、母親は「吐けばいいのよ」と告げ、過食嘔吐の習慣を教えたのです。

母親自身も摂食障害に苦しんでいましたが、そのつらさを理解しながらも娘に同じ道を歩ませたことは、遠野さんの心に深い傷を残しました。

この頃から遠野さんは、食べては吐く行為を繰り返し、身体醜形障害も悪化していきます。

母親はガリガリに痩せていく遠野さんに対しても「少年みたいな体」「色気がない」と批判し、決して認めることはありませんでした。

こうして思春期の遠野さんは、虐待の激化と摂食障害により、ますます自己肯定感を失っていったのです。

【20代以降】母親との絶縁後も虐待の後遺症に苦しむ

20代になると、遠野なぎこさんは母親との関係に終止符を打ち、絶縁を決意します。

子供の頃から虐待や育児放棄に苦しめられ続けたことで、母親への愛情と憎しみの間で揺れ動きながらも、「これ以上自分を傷つけないために」家族全員と距離を置く道を選びました。

その一方で、母親から受けた心の傷は深く、絶縁後も摂食障害や身体醜形障害、PTSDに悩まされ続けました

母親の否定的な言葉や冷たい態度はトラウマとなり、遠野さんは自己肯定感を持てず、恋愛や人間関係でも苦しみました。

女優業では1999年にNHK連続テレビ小説『すずらん』でヒロインに抜擢されるなど、華やかなキャリアを築きましたが、その裏側では摂食障害やうつ症状、アルコール依存の治療を繰り返していました。

2013年には、自伝『一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ』を出版

母親から受けた虐待や、歪んだ母娘関係について赤裸々に告白しました。

その中で、母親について「母親になりきれず、女として生きていた人」と記し、愛されたい思いと許せない気持ちが交錯していたことを明かしています。

絶縁後も遠野さんの心に母親の影響は残り続け、完全に解放されることはありませんでした。

【2022〜現在】母親の死後も続いた苦悩と遠野なぎこの現在

2022年5月、遠野なぎこさんの母親は3人目の夫ががんで亡くなった翌日に、自ら命を絶ちました

遠野さんは翌年のインタビューでこの事実を公表し、葬儀には参列しなかったこと、母親の死に「解放された」と感じた一方で、「最期まで愛されなかった」という深い絶望も抱いたと語っています。

母親の死後、一時的に精神状態が安定し、摂食障害やアルコール依存の症状が改善した時期もありました。

しかし、弟と一時的に再会したが、虐待の記憶がフラッシュバックし、再び関係を断ち切り、孤独な闘いを続けるようになります。

そして2025年7月3日、遠野さんの東京都内の自宅マンションで、身元不明の女性の遺体が発見されました。

警視庁は遠野さんの可能性があると報じており、現在もDNA鑑定による身元確認が進められています。

6月27日のブログ更新を最後に連絡が取れなくなっていた遠野さん。

長年抱え続けた母親との確執が、いまだ深く彼女を苦しめていたのかもしれません。

まとめ

遠野なぎこさんは、幼少期から母親による虐待や育児放棄を受け、心身に深い傷を負いながら成長してきました。

容姿への否定、暴力、不倫による育児放棄など、母親の愛を求めながらも報われない子供時代が、遠野さんの自己肯定感を奪い、摂食障害やPTSDを抱える原因となりました。

両親の離婚後も状況は悪化し、思春期には母親の言葉がきっかけで過食嘔吐を始め、16歳で自殺未遂に至るなど、その影響は深刻でした。

20代で母親や家族と絶縁し、女優業で成功する一方で、心の傷は癒えず、絶縁後も摂食障害やアルコール依存に苦しみ続けました。

母親は2022年に亡くなりましたが、遠野さんに残された苦しみは消えませんでした。

母親の死後、弟と一時的に再会するも虐待の記憶が蘇り、再び関係を断絶。孤独な闘いは続いていました。

そして2025年7月、東京都内の自宅で遠野さんの可能性がある遺体が発見され、現在もDNA鑑定による確認が進められています。

母親から受けた深い心の傷が、彼女の人生を最後まで苦しめ続けたのかもしれません。

長年続いた母親との確執と、その影響に苦しみながらも生き抜いてきた遠野さんの人生に、多くの人が思いを馳せています。

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