予知夢を通じて未来を描き続けてきた漫画家の「たつき涼」さん。
その予言は驚くべき的中率を誇り、世間を震撼させています。
2024年現在、彼女の予言が再び注目を集めていますが、次に待ち受ける運命の日は『2025年7月5日4時18分』だと言われています。
今回は、彼女の数々の的中予言一覧と、これから起こり得る災難の真相に迫ります!
これから漫画を読もうと思っている方は「ネタバレ注意!」ですので、予めご了承ください
目次
「たつき涼の予言」とは?その正体と予言方法に迫る!
たつき涼さんは、1999年に出版された「私が見た未来」という漫画で一躍有名に。
彼女の予知能力は「予知夢」に基づいており、1978年頃から夢日記をつけ続け、数々の未来を描き続けています。
しかし、その能力が目覚めた背景には、特別な出来事がありました。
たつき涼さんは、夢で何度も「サイババ」に会ったことがきっかけでインドに渡り、そこでサイババ本人と対面。
サイババと同じ運命線の手相を持っていることに気付き、「前世でサイババの娘だった」という確信を得たといいます。
この出来事を機に彼女の予知能力が覚醒し、以降、予知夢を通じて未来を見るようになりました。
彼女が見た夢の多くは、その後の現実世界で驚くべき形で的中することになります。
百発百中と言われる「たつき涼の予言」一覧!
たつき涼さんの予言は、まるで夢と現実が交差するかのように次々と的中していきました。
これから紹介する15の予言一覧は、その不思議な現象の証です。
果たして、あなたは信じられるでしょうか?
1.フレディ・マーキュリーの死
予言日:1976年11月28日
的中日:1991年11月24日
(15年後)
たつき涼さんが最初に注目されたのは、QUEENのボーカル、フレディ・マーキュリーの死を予見した夢でした。
『1976年11月28日に彼の死をニュースで知る夢』を見た彼女は、その15年後に実際に彼が亡くなったことを知り、言葉を失います。
2.叔父の死
予言日:1993年9月14日
的中日:1994年9月14日
(同じ日付)
夢の中で、たつき涼さんは田舎道を歩いている場面を目にしました。
翌年、同じ日に叔父の葬儀に向かうことになり、夢で見た光景が現実のものとなった瞬間を体験します。
この出来事に、彼女は強い運命の力を感じたことでしょう。
3.洞窟での殺人事件
予言日:1989年8月27日
的中日:1991年1月頃
海の近くの洞窟のようなところで、ワンピース姿の女性が立っているという不気味な夢を見たたつきさん。
1年後、地元横浜の公園を散歩している時に夢で見た洞窟によく似ていたので、その場所を写真撮影。
その半年後に、実際にその場所で女性の遺体が発見され、夢と現実が重なった恐怖に震えたそう。
この夢が現実になるまでの過程には、鳥肌が立つような奇妙な運命を感じさせます。
4.赤ちゃん人質事件
予言日:1995年10月
的中日:1995年12月
たつきさんが見た夢に、かわいらしい赤ちゃんが登場しました。
その2ヶ月後に実際に赤ちゃんが人質となる立てこもり事件が発生。
この赤ちゃんが、夢で見た赤ちゃんとそっくりだったのです。
5.ダイアナ妃の訃報
予言日:1992年8月31日
的中日:1997年8月31日
(5年後)(同じ日付)
赤ちゃんを抱いているダイアナ妃と「ダイアナ妃が◯んだ」というイメージの夢を見ました。
その5年後、ダイアナ妃が命を落としたというニュースが世界を駆け巡ることに。
日付が完全に一致している衝撃の内容です。
6.友人の失恋
予言日:具体的な日付不明
的中日:予言の翌月
夢の中で、見知らぬ男性がたつきさんに、女性との恋愛について相談をしたのです。
その後、たつきさんの友人が「好きな人に告白したらフラレた」と話し、写真を見せてくれました。
その写真の男性は、なんと夢に出てきたあの男性だったという。
7.東日本大震災
予言日:1999年
的中日:2011年3月11日
『漫画|私が見た未来』の出版のため、今まで見た夢の中で印象的だったものをいくつか表紙に描いたのだが、1コマだけ空欄で余ってしまったそう。
どうしよう…と思いながら寝てしまい、その時に見た夢で「大災害は2011年3月」という文字が夢に現れ、たつきさんは直感的にその重要性を感じ、漫画の表紙に記載しました。
そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、彼女の予言が恐ろしい形で的中したのです。
8.富士山噴火
予言日:1991年8月20日
的中日:まだ的中していない
富士山が噴火する夢を見たたつき涼さん。
現時点では噴火は起きていません。
しかし、今までの彼女の予言内容を見てみると、5年後や15年後というのがひとつのキーワードになっており、富士山の噴火は15年後に起こるのではないかと噂されていました。
2006年、2021年、共に噴火は起きませんでしたので、次は2036年の可能性があります。
現在は300年以上の休止期にありますが、活火山である富士山はいつ噴火してもおかしくない状態。
専門家は今後の噴火に備えた防災対策の重要性を指摘しています。
9.阪神淡路大震災
予言日:1992年1月2日
的中日:1995年1月17日
(15日後)
「15日後か15年後に神戸でひび割れた大地の映像と文字」という夢を見たたつきさん。
その3年と15日後、阪神淡路大震災が発生し、彼女の予知夢が再び現実化しました。
漫画が出版されたのは阪神淡路大震災後の1999年なので、真偽の検証はできません。予めご了承ください
10.未知のウイルス(COVID-19)の出現
予言日:1995年1月2日
的中日:2020年
(25年後=5の倍数年)
たつきは1995年に「2020年4月をピークに、10年後に再び現れるが死者が出る重病とはならない」と予言。
2020年、新型コロナウイルスが世界を襲い、その予言が的中しました。
25年も前に未知のウイルスの予言ってスゴすぎる!
11.2030年のパンデミック
予言日:1995年1月2日
的中日:まだ的中していない
(10年後=5の倍数年?)
2020年4月をピークとする「コロナウイルスのパンデミック」から10年後の2030年に、再びパンデミックが発生するという予言をたつきさんは残しています。
現在はまだ的中していないものの、「また新たな未知のウイルスが発生するのか?」と注目が集まっています。
12.AIの進化と技術的特異点(シンギュラリティ)
予言日:具体的な日付不明
的中日:まだ的中していない(2045年頃と予言)
2045年には、AIが人間の能力を超える「技術的特異点(シンギュラリティ)」が訪れると予言されています。
技術の進化により、社会がどう変わるのか、多くの人がこの未来に興味を抱いています。
映画「ターミネーター」みたいにAIが世界を支配してしまうのか!?
13.自身の葬式の夢
予言日:1995年11月26日
的中日:まだ的中していない
「7月15日、私の葬式」という夢を見ます。
現時点で彼女は健在ですが、漫画家としての「たつき涼」の終焉を暗示していたのかもしれません。
1999年に「私が見た未来」を出版したのを最後に引退。
現在69歳(2024年9月現在)の彼女は、執筆活動は行っていません。
14.スマトラ島沖地震
予言日:2001年12月25日
的中日:2004年12月26日
たつき諒さんは、2001年12月25日に宇宙から地球を見た夢で、インドネシアから微弱な波動が広がる様子を目撃しました。
この予知夢から3年後の2004年12月26日、スマトラ島沖地震が発生。
また、同じ夢でアメリカ近くにも波動が広がっており、その約半年後、アメリカ南部を大型ハリケーン・カトリーナが襲いました。
夢で見た波動の位置とハリケーンの発生位置が一致しており、この予知夢は非常に衝撃的なものでした。
15.2025年7月の大災難
予言日:2021年10月1日
的中日:まだ的中していない
2021年10月1日、「私が見た未来 完全版」が発売されるにあたり、たつきさんは再出版の打ち合わせを行うことになりました。
その朝、彼女は1999年に見た夢と同じようなスクリーンの光景を夢で見ます。
「大災難は2025年7月」
その夢では、2025年7月に海底が噴火して隆起し、日本とフィリピンの間で大津波が発生する様子が描かれていました。
さらに、その噴火によって日本、香港、台湾、フィリピンが地続きになるイメージがあったため、たつき諒さんはこの内容を「私が見た未来」に追加し、再出版を決意しました。
次の予言「2025年7月5日4時18分の大災難」では何が起こるのか?
たつき涼さんが予言した次の大災難は、「2025年7月」に発生するとされています。
彼女は「大災難は2025年7月」としか予言していないのです。
じゃあ、なぜ『7月5日4時18分』という日付と時刻までがウワサされているの?
それは、予知夢をメモしたのが7月5日の4時18分だったから。
彼女の予言は、夢を見た日付と同じ日付に的中することが多いので、このような日時指定の予言へとすり替わっていったのでしょう。
この予言では、巨大津波が日本を襲うことが示唆されています。
津波は、東日本大震災の3倍の規模に達する可能性があるとされ、その原因は日本とフィリピンの中間に位置する海底での爆発だと言われています。
さ、3倍!?
この恐ろしい予言が実際に的中するかどうかはわかりませんが、彼女の予言が的中するたびに、防災意識が高まっているのも事実です。
たつき涼「私が見た未来―完全版」発行への思い
東日本大震災が起きた後、たつき諒さん自身も震災の被害に動揺していて、かつて自分の漫画の表紙に「大災害は2011年3月」と描いたことを忘れていました。
しかし、震災後に親戚から「昔描いた漫画がネットで話題になっている」と教えてもらい、その内容を思い出したそうです。
そして、「もっと早く話題になっていれば、助かる命がもっとあったかもしれない」という後悔の念を抱いたとも語っています。
たつきさんは、「話題を作るためや人々を不安にさせるために描いたわけではなく、予言や予知とは思っていない」と述べています。
あくまで「災害への備えに役立ってくれれば」「被害を最⼩限にとどめられたら」という思いで、『私の見た未来ー完全版』に加筆したそうです。
また、夢の中で「事前に準備することで多くの人が助かり、復興に向かって前向きに生きている明るいイメージ」も見たそうで、どんな災害が起きても乗り越えられると感じたそうです。
たつき涼の予言一覧|まとめ
たつき涼さんの予言は、これまで数々の出来事を的中させ、私たちを驚愕させてきました。
彼女の夢の中で描かれる未来は、単なる偶然なのか、それとも見えざる運命の糸が織りなすものなのか…その答えは誰にもわかりません。
しかし、2025年7月5日という運命の日が刻々と近づく中、私たちは彼女の言葉に耳を傾けずにはいられないのです。
たつきさんが言うように、予知は『警告』であり、『避けられる』からこそ『見せられた』といいます。
このメッセージには、『災難を避ける』または『小規模にする』ための手段があることを示唆しています。
それは、私たちが心構えと備えを持つことで、災害の影響を最小限にできるという希望を与えてくれるものです。
たつき涼さんが見る未来は、私たちに対する切実なメッセージと捉えることができます。
これからも彼女の予言に注目が集まり続けるでしょう。
そして、彼女が紡ぐ物語の結末が、私たちにどのような真実を突きつけるのか──その日が来るまで、私たちはその答えを待つしかありません。